我は長岡市の河井継之助記念館に行った事は有りませんが、
長岡市の河井継之助記念館の河井継之助の銅像は遠眼鏡を持って居る。
河井 繼之助が遠眼鏡を使ったのは、山田方谷に弟子入りして、山田方谷が長期不在の際に九州に行った時です。
慶應四年では既に遠眼鏡は時代遅れでした。
『會津士魂』を読んだ人は分るでしょうが、
白兵戦で高田の榊原家の侍を何名か斬り斃した會津の将校が自身も斬られて戦闘不能に陥り、
雑兵に討たれて首級を挙げられました。
會津の将校から、雑兵が刀と双眼鏡を分捕りました。
只見町の河井継之助記念館の関係者は、「現代の長岡人は教養が無い」と思ったでしょう。
以前にブログに書きましたが、河井 繼之助にアメリカ人商人のR・スミスがプレゼントしたガトリング砲は、1868年型です。
只見町の河井継之助記念館のガトリング砲が史実の通りで正しいのです。
まぁ、我自身(霊)からの情報ですけどね(大和田爆笑)