5月4日
朝、摂田屋村にて軍議。河井継之助と佐川官兵衛、激論を交わした後、協定を結ぶ。←この協定締結で長岡藩が奥羽越列藩同盟に加わったとする歴史書(『仙台戊辰史』 等)が多いが、列藩同盟への加盟について書かれた長岡藩関係の記録は見当たらない。
會津・荘内・桑名・北越六藩による、連合軍が米澤と同盟したのが実態でしょう。
http://nakahori2.mints.ne.jp/shiseki/boshin2.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%BA%95%E7%B6%99%E4%B9%8B%E5%8A%A9#.E3.83.89.E3.83.A9.E3.83.9E
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%BA%95%E7%B6%99%E4%B9%8B%E5%8A%A9#.E3.83.89.E3.83.A9.E3.83.9E
- 『長岡城を奪還せよ』
- 平成27年(2015年)2月28日放送のUX(新潟テレビ21)制作によるスペシャル番組。北越戦争が開戦してまもなく、新政府軍の奇襲攻撃により、長岡城はあえなく落城する。本来なら城が陥落した時点で終戦となるはずが、長岡藩は加茂に集結した会津、米沢など奥羽越列藩同盟諸藩の力を結集して、長岡城を奪還する。加茂に集結した奥羽越列藩同盟の諸藩が開いた作戦会議、「加茂軍議」で会津、米沢といった大藩を御し、小藩の長岡藩が主導権を握るといった離れ業を演じたのが河井継之助である。北越戦争の端緒となった「小千谷談判」、「加茂軍議」、敗走する長岡藩士とその家族等が抜けた「八十里越」の3局面を軸にドラマで「再現」。林修と河井継之助記念館(新潟県長岡市)館長 稲川明雄のトークと共にそれぞれの場面、局面の厳しさ、北越戦争の真髄を切り取っていく。
>「加茂軍議」で会津、米沢といった大藩を御し、小藩の長岡藩が主導権を握るといった離れ業を演じたのが河井継之助である。
其れが事実ならば、河井 繼之助が村松軍を長岡軍の附属とする筈ですよ。
白井良三郎は干城隊で越後に出征したが、村松城下が燃え上がるのを目撃。
「敵が退いたからと言ってあんなに焼く理屈はない」と思って聞いたところ、
今度は米沢藩の放火だった。村松藩は米沢藩から脅されたが中々従わなかったので放火されたらしい。
「加茂軍議」で村松を罵倒、恫喝したのは河井 繼之助では無くて米澤ですよ。