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Tです。静岡県在住の郷土女流時代作家:秋山香乃さんの新刊が本日発売されました!ただ今、私も読んでいる途中ですがこれは凄い!「龍が哭く」(PHP)幕末の勇:河井継之助の生涯を描く感動巨編。歴史は好きなものの名前程度しか知らない人物でした。本作を読む機会を得て感謝している!
インターネットを遣って居るのならば、
Wikipediaを読んで居る筈です。
Wikipediaのレベルに秋山香乃は、達して居ませんよ。
モンロー主義の影響を受けた獨立特行を河井 繼之助が主張した。
と書いて居ない本は、読む価値も買う価値も無いのです。
慶応2年12月25日(1867年1月30日)、孝明天皇の崩御を受け、儲君睦仁親王が翌慶応3年1月9日(1867年2月13日)に践祚して皇位を継承した。当初は11月に即位の礼を行う予定であったが、大政奉還など時勢が急速に変化していく中で、国事多難を理由に見送られた。
明治新政府は、翌年の慶応4年(明治元年/1868年)5月に新時代の到来を宣布するため、変化に相応しい新しい即位式の挙行を目指し、津和野藩主で神祇官副知事の亀井茲監をして「御即位新式取調御用掛」に任命した。岩倉具視は亀井に唐風儀式の撤廃と古式復興を命じた。新時代の象徴として、式典において地球儀を用い、皇威を世界に知らしめることを目的とした。孝明天皇即位に使われた高御座は内裏とともに焼失していたので、例年の節会などに使う帳台をもって高御座と称した。唐風とみなされた装束や装飾は全廃されたため、礼服[4]は廃止され、平安時代以来礼服に次ぐ正装であった束帯が使用された。庭に立てる儀仗用の旗の類も廃止され、幣旗という榊がたてられた。
慶応4年8月17日(1868年10月2日)に、10日後の8月27日(1868年10月12日)に即位の礼を行うことを発表し、同月21日から関連儀式を執り行った。殊に崇徳天皇に勅使を遣わし命日である同月26日に霊前で宣命を読み上げた翌日27日、即位の礼当日は、宣命使が宣命を読み上げ、参列者中、筆頭位の者が寿詞を読み、古歌を歌われた。そして「拝」と一同唱和し、式典が終了した。
天皇が不在の日本で不当に戊辰戦争を起こした薩長
天皇が不在の日本から、獨立特行を宣言した河井 繼之助は日本人で一番偉い。