$ 0 0 https://twitter.com/shinshigeru1952/status/877822272270082048shinshigeru @shinshigeru195238 分38 分前フォローするフォロー中 解除 ブロック中 ブロック解除 フォロー許可待ち キャンセル その他ツイートへのリンクをコピーツイートをサイトに埋め込む佐賀藩ですら最後まで中立を守ることは出来なかったのだから、河井継之助の長岡藩なんてお話になりませんな。なぜか戦後の日本人は中立を無条件で良いものと考える人が多いけど、単独防衛は危険で困難の多い道なのだ。2:35 - 2017年6月22日我自身に尋ねたところ、長岡藩よりも、佐賀藩は全然弱かったそうです。幕末日本最強が熊本藩幕末日本二番目に強かったのが、薩摩藩と長岡藩熊本藩江戸屋敷の侍が河井 繼之助 にイギリス人の武器商人のウォーター、アメリカ人の武器商人のスミスを紹介してくれたそうです。アームストロング砲、ガトリング砲、エンフィールド銃、スナイドル銃、シャープス銃(軍用カービン)慶応二年七月二十七日 赤坂口の戦いで、海岸線を進軍してきた福原和勝が率いる報国隊が砲隊を先頭にして攻撃を開始したが、熊本藩兵のアームストロング砲の砲撃に多大な損害を受け撃退され、報国隊の攻撃は頓挫した。戊辰北越戦争で長岡軍がアームストロング砲で、榴散弾を発射して奇兵隊ら西軍の頭上で爆発させる戦術を用いて、多大な損害を与えた。佐賀藩は七連発のスペンサー騎兵銃で武装していたので、馬鹿なのです。七連発のスペンサー騎兵銃は射程距離が長くは無くて、命中精度が低かった。エンフィールド銃、スナイドル銃、シャープス銃(軍用カービン)で武装させた河井 繼之助と小山 善元(良運)は大天才