実は、あの頃には「西洋の商人に注文して買う方が安くて早い」という時流なのです…… 幕末期に多くの鉄砲鍛冶が新銃開発に挑みましたが、これで高性能の銃を開発できたところで西洋の量産銃に費用も時間も遠く及ばない効率の悪さなのが分かっていて……(´;ω;`)
技術の厄介ポイントは後装銃では薬莢でしたね、これを拾うか?放置か?で兵站と予算が良く解ります。白河城陥落で絹が政府軍に売却され50丁銃が増えて・・女性銃手二人(はいる)でどないせいちゅうねん・・夜襲と後装銃奪う発想出なくて、容保も女性を戦わせるの恥と出撃から遠ざけたのマジですか?