南会津の戊辰に光 記念事業で誘客
戊辰戦争150年の今年、南会津地方の「知られざる戊辰」に光を当てようと、南会津地方の町村や文化団体は県とともに点在する激戦地の関連史跡を地域の資源として生かし、歴史ファンらに発信する。標柱を立て、散策マップを作るなどし、地域再発見や観光誘客につなげる。20日、只見町で関連イベントが催され、記念事業のスタートを切った。
只見町は、戊辰戦争を長岡藩(新潟県長岡市)家老として戦った河井継之助の終焉(しゅうえん)の地であり、特に戊辰記念事業に力を入れる。文化・観光団体や町などでつくる奥会津只見戊辰150周年記念事業実行委員会が進めている。
町内の継之助の墓や新政府軍の本陣跡など16カ所に標柱を立て、裏側には史跡の説明を記した。豪雪地のため冬季は取り外せるようになっており、雪解け後に設置する。散策用パンフレットも3月中に作製し、春の行楽期に間に合わせる。
実行委員会はこのほか、講演会などの記念行事を計画している。継之助のつながりを生かして長岡市との交流イベントも検討しており、双方でのウオークなどが候補に挙がっている。春に営業を再開する只見町の河井継之助記念館は企画展を予定している。
実行委員会の飯塚恒夫会長(83)は「戊辰戦争は会津若松だけでなく奥会津も重要な舞台だった」とし、150年を契機に只見に多くの人を呼び込みたいと考えている。「戊辰戦争では敗れた多くの長岡藩士や家族らが只見に逃れてきた。只見の先人が苦労して受け入れたという隠れた歴史も伝えたい」と話す。
県南会津地方振興局は同地方の戊辰戦争の戦場などを紹介したリーフレット「南会津戊辰歴巡図」を作り、配布している。南会津観光情報サイト「おいでよ!南会津。」でも閲覧できる。
只見町は、戊辰戦争を長岡藩(新潟県長岡市)家老として戦った河井継之助の終焉(しゅうえん)の地であり、特に戊辰記念事業に力を入れる。文化・観光団体や町などでつくる奥会津只見戊辰150周年記念事業実行委員会が進めている。
町内の継之助の墓や新政府軍の本陣跡など16カ所に標柱を立て、裏側には史跡の説明を記した。豪雪地のため冬季は取り外せるようになっており、雪解け後に設置する。散策用パンフレットも3月中に作製し、春の行楽期に間に合わせる。
実行委員会はこのほか、講演会などの記念行事を計画している。継之助のつながりを生かして長岡市との交流イベントも検討しており、双方でのウオークなどが候補に挙がっている。春に営業を再開する只見町の河井継之助記念館は企画展を予定している。
実行委員会の飯塚恒夫会長(83)は「戊辰戦争は会津若松だけでなく奥会津も重要な舞台だった」とし、150年を契機に只見に多くの人を呼び込みたいと考えている。「戊辰戦争では敗れた多くの長岡藩士や家族らが只見に逃れてきた。只見の先人が苦労して受け入れたという隠れた歴史も伝えたい」と話す。
県南会津地方振興局は同地方の戊辰戦争の戦場などを紹介したリーフレット「南会津戊辰歴巡図」を作り、配布している。南会津観光情報サイト「おいでよ!南会津。」でも閲覧できる。
( 2018/01/21 09:57 カテゴリー:主要 )
>「戊辰戦争では敗れた多くの長岡藩士や家族らが只見に逃れてきた。只見の先人が苦労して受け入れたという隠れた歴史も伝えたい」と話す。
敗れた多くの長岡藩士や家族らが只見に逃れて来て、只見地方の農民が種もみを食わせたとの事ですが、
一方的な伝承ですね。
明治以降に元・長岡藩士や家族らが只見に来て、感謝の言葉を述べて居ない事から察するに、
明治以降に只見地方の人間が歴史を捏造した可能性が高く思えて来ました。