- 大和田爆笑
- Re: 小田山 ちゃいまんねん
>>No. 5579
アームストロング砲には及びませんが、會津軍も四斤山砲を保有して居ましたよ。
http://netabare1.blog137.fc2.com/blog-entry-2415.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%96%A4%E5%B1%B1%E7%A0%B2
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%96%A4%E5%B1%B1%E7%A0%B2
会津若松の人達には恰好の山登りの名所じゃなかろうか?と思うんだ。
300m程度の山なら、30分で登れるから、丁度良い運動。
市内を一望出来で気持ち良いんじゃないかな?
会津若松市は険しい山に囲まれ、小田山はその山山からポコッと出たピクニック気分で登れる手頃な優しい山と言った処だろうか?
城を攻める側から見れば之ほど便利な地形は無い。
城から2キロ、で高さ300m
西軍が城攻略を地元協力者に尋ね、案内されて此処を攻撃拠点と定めたと、砲台跡の看板にあるそうだ。
会津軍は砲撃による痛手を防ぐ為に此処の陣地を破壊すべく決死の覚悟で臨んだらしいが、奮戦空しくだったんだらしい。
幕末でもその他大勢の藩は、関ケ原時代の200年も前の大砲を後生大事に手入れしてた訳で、それで長年俸禄を食む武士の話「おお大砲」と言う短編小説は特に面白く、幕末、大砲のキーワードで直ぐに思い出す。
会津なんて保守の強い風土なら尚更、おお大砲と家重代の家宝として神器化し、大砲とはこれ以外には考えられなかったんじゃなかろうか。
関ヶ原の大砲が大砲であって、新式が有るとは薄々知ってはいるが、神器である物を否定する訳にも行かず。
仲良し家臣団を守ると言う意味かな?
積極的に新式を探るのは人の食い扶持を奪うと言う様な、人で無しとも捉えられかねずかな?
おお大砲では大事に扱う様子を面白く描いて在ったと記憶してる。
と、まあ保守とは新を意味嫌う様に出来てるから、シビアな戦では負ける宿命にある。
そんな事で新式の
鍋島藩の大砲にコテンパンにやられてしまう。
家重代の大砲は射程100mだから、新式のが2000mなんてのは想像外に有ったんだろう。
それに、砲弾がタダの鉄の塊じゃ無く、炸裂するなんて、それは無いと、
金将軍が無慈悲と言うが、
正に無慈悲に人々が肉隗と成って飛び散る様は地獄絵だったんだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=LvTR-pQsels