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小千谷の在日が回答しやがった(大和田爆笑)

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2018/3/718:00:04

小千谷談判後の真実~河井継之助の食事は作り話
https://ameblo.jp/ph-lynott/entry-12307219890.html
東忠での食事説は、小千谷市史編さん時から言われるようになったものです。それ以前からの言い伝えはまったくありません。
市史の編さん事業は、開始が1962年で、市史の前身として『小千谷の歴史』が最初に刊行されたのが1964年です。そして『小千谷市史 下巻』は1967年です。
かの有名な、司馬遼太郎の『峠』が連載されたのが1966年~1968年です。単行本として出版されたのは1968年です。
『峠』が出版されてから言われるようになったという話もありますが、実は時期が被っているのです。

ある方が、小千谷市史編さん事業について語ったことがあったと言います。
その一つにこんな話題がありました。
「小千谷市史編さん時に、偉い学者さんが何人か来られていたが、毎晩のように料亭で食事をして、編さん事業の予算を使っていた。」

その後、その料亭は、河井継之助が食事をした料亭と呼ばれるようになった。

司馬遼太郎と河井継之助が小千谷市の料亭に食い物にされた訳ですが、
司馬遼太郎の小説が発表されて、他にも同じ様な事例が有りましたら、教えて下さい。
閲覧数:
143
回答数:
1
yoxxonnさん
2018/3/821:40:17

お二人が料亭を食い物したのではなく

料亭が大儲けをしたわけでしょう

こちやしが大儲けをしたわけでしょう

誰も知らないこちやを全国区にしてくれたのでしょう

料亭に呼びこんで

歴史は夜

創られるデス

公史は宣伝史ですから文句なしです

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