http://www.jidai-show.net/2018/04/02/post-kawai-tsuginosuke-2/
歴史家の安藤優一郎さんの歴史読み物、『河井継之助 近代日本を先取りした改革者』が日本経済新聞出版社から刊行されました。
安藤優一郎さんは、『西郷どんの真実』『「絶体絶命」の明治維新』『徳川慶喜と渋沢栄一』など、幕末維新に関する歴史読み物を多数著作されている歴史家です。
戊辰戦争の引き金となった大政奉還つまり幕府が倒れるまで、継之助は長岡藩の経済官僚として財政再建に取り組み、藩政立て直しに邁進する。薩摩・長州藩に象徴されるように、藩政改革により長岡藩の富国強兵を推し進める。国際事情に通じた開明派藩士として、長岡藩が近代化の旗手となることを目指した。
(『河井継之助 近代日本を先取りした改革者』「エピローグ 河井継之助とは何だったのか」P.231より)
戊辰戦争において新政府軍と旧幕府軍の間で、武装中立という第三の道を選び、結果的に無謀な戦いへと長岡藩を率いた河井継之助(かわいつぎのすけ)。
司馬遼太郎さんの名作歴史時代小説『峠』で描かれたことで、悲劇のヒーローとして、全国的に知られています。『峠』のイメージが強すぎるせいか、他の作家に取り上げられることが少ないように思います。
本書『河井継之助 近代日本を先取りした改革者』は、歴史小説ではありません。継之助の日記や評伝、研究書などの参考文献をもとに構築された歴史読み物です。
幕末維新を俯瞰した視点から、継之助の真の姿を浮き彫りにしていきます。
継之助を、「少年の頃から、剛毅で向こう意気が強かった」「自分の信ずるところは決して曲げない性格」「納得しなければ容易には人に屈しない性格」で、徹底したリアリストと分析し、短期間で藩政改革を実行して、成果を挙げることができた理由としています。
新政府軍は城下に火を放ちながら、城を目指す。城下を守っていた長岡藩兵は総崩れとなった。
新政府軍の攻撃を防ぎきれないと判断した長岡藩は自ら城に火を放つ。藩主忠訓や前藩主忠恭は家族とともに領内の栃尾郷に落ちていった。藩士たちも屋敷に火を放ち、その跡を追うが、激しい市街戦も展開されている。戦場と化した城下の町人たちは逃げ惑った。 この日の戦いで、城はほぼ全焼する。城下も家中の屋敷四百九十二軒、足軽屋敷五百二十二軒、町家千四百九十七軒が焼失した。城下は灰燼に帰す。
(『河井継之助 近代日本を先取りした改革者』「(3)長岡城の落城と奪還」P.200より)
長岡城炎上、そして敗走の事実が淡々と綴られていきます。
簡潔な文章ゆえにイメージが広がり、せつない気持ちになっていきます。
さらに、戦争に巻き込まれた領内の農民による一揆や、恭順派の長岡藩士たちによる投降も描かれていて、興味深く読むことができました。
>幕末維新に関する歴史読み物を多数著作されている歴史家です。
要するに学者崩れ
>戊辰戦争において新政府軍と旧幕府軍の間で、武装中立という第三の道を選び、
武装中立は司馬遼太郎に拠る、歴史の捏造
獨立特行を河井 繼之助が主張した。
獨立特行はモンロー主義の影響を河井 繼之助が受けてアレンジしたものである。
>本書『河井継之助 近代日本を先取りした改革者』は、歴史小説ではありません。継之助の日記や評伝、研究書などの参考文献をもとに構築された歴史読み物です。
歴史読み物=学術書では無い
>新政府軍は城下に火を放ちながら、城を目指す。城下を守っていた長岡藩兵は総崩れとなった。
新政府軍の攻撃を防ぎきれないと判断した長岡藩は自ら城に火を放つ。藩主忠訓や前藩主忠恭は家族とともに領内の栃尾郷に落ちていった。藩士たちも屋敷に火を放ち、その跡を追うが、激しい市街戦も展開されている。戦場と化した城下の町人たちは逃げ惑った。 この日の戦いで、城はほぼ全焼する。城下も家中の屋敷四百九十二軒、足軽屋敷五百二十二軒、町家千四百九十七軒が焼失した。城下は灰燼に帰す。<
稲川明雄が主張した河井 繼之助の長岡城奪還の焦土作戦は捏造されたものだと言う事に成ります。
歴史家の安藤優一郎さんの歴史読み物、『河井継之助 近代日本を先取りした改革者』が日本経済新聞出版社から刊行されました。
安藤優一郎さんは、『西郷どんの真実』『「絶体絶命」の明治維新』『徳川慶喜と渋沢栄一』など、幕末維新に関する歴史読み物を多数著作されている歴史家です。
戊辰戦争の引き金となった大政奉還つまり幕府が倒れるまで、継之助は長岡藩の経済官僚として財政再建に取り組み、藩政立て直しに邁進する。薩摩・長州藩に象徴されるように、藩政改革により長岡藩の富国強兵を推し進める。国際事情に通じた開明派藩士として、長岡藩が近代化の旗手となることを目指した。
(『河井継之助 近代日本を先取りした改革者』「エピローグ 河井継之助とは何だったのか」P.231より)
戊辰戦争において新政府軍と旧幕府軍の間で、武装中立という第三の道を選び、結果的に無謀な戦いへと長岡藩を率いた河井継之助(かわいつぎのすけ)。
司馬遼太郎さんの名作歴史時代小説『峠』で描かれたことで、悲劇のヒーローとして、全国的に知られています。『峠』のイメージが強すぎるせいか、他の作家に取り上げられることが少ないように思います。
本書『河井継之助 近代日本を先取りした改革者』は、歴史小説ではありません。継之助の日記や評伝、研究書などの参考文献をもとに構築された歴史読み物です。
幕末維新を俯瞰した視点から、継之助の真の姿を浮き彫りにしていきます。
継之助を、「少年の頃から、剛毅で向こう意気が強かった」「自分の信ずるところは決して曲げない性格」「納得しなければ容易には人に屈しない性格」で、徹底したリアリストと分析し、短期間で藩政改革を実行して、成果を挙げることができた理由としています。
新政府軍は城下に火を放ちながら、城を目指す。城下を守っていた長岡藩兵は総崩れとなった。
新政府軍の攻撃を防ぎきれないと判断した長岡藩は自ら城に火を放つ。藩主忠訓や前藩主忠恭は家族とともに領内の栃尾郷に落ちていった。藩士たちも屋敷に火を放ち、その跡を追うが、激しい市街戦も展開されている。戦場と化した城下の町人たちは逃げ惑った。 この日の戦いで、城はほぼ全焼する。城下も家中の屋敷四百九十二軒、足軽屋敷五百二十二軒、町家千四百九十七軒が焼失した。城下は灰燼に帰す。
(『河井継之助 近代日本を先取りした改革者』「(3)長岡城の落城と奪還」P.200より)
長岡城炎上、そして敗走の事実が淡々と綴られていきます。
簡潔な文章ゆえにイメージが広がり、せつない気持ちになっていきます。
さらに、戦争に巻き込まれた領内の農民による一揆や、恭順派の長岡藩士たちによる投降も描かれていて、興味深く読むことができました。
>幕末維新に関する歴史読み物を多数著作されている歴史家です。
要するに学者崩れ
>戊辰戦争において新政府軍と旧幕府軍の間で、武装中立という第三の道を選び、
武装中立は司馬遼太郎に拠る、歴史の捏造
獨立特行を河井 繼之助が主張した。
獨立特行はモンロー主義の影響を河井 繼之助が受けてアレンジしたものである。
>本書『河井継之助 近代日本を先取りした改革者』は、歴史小説ではありません。継之助の日記や評伝、研究書などの参考文献をもとに構築された歴史読み物です。
歴史読み物=学術書では無い
>新政府軍は城下に火を放ちながら、城を目指す。城下を守っていた長岡藩兵は総崩れとなった。
新政府軍の攻撃を防ぎきれないと判断した長岡藩は自ら城に火を放つ。藩主忠訓や前藩主忠恭は家族とともに領内の栃尾郷に落ちていった。藩士たちも屋敷に火を放ち、その跡を追うが、激しい市街戦も展開されている。戦場と化した城下の町人たちは逃げ惑った。 この日の戦いで、城はほぼ全焼する。城下も家中の屋敷四百九十二軒、足軽屋敷五百二十二軒、町家千四百九十七軒が焼失した。城下は灰燼に帰す。<
稲川明雄が主張した河井 繼之助の長岡城奪還の焦土作戦は捏造されたものだと言う事に成ります。