4月21日(土)、会館青善にて友の会平成30年度総会・講演会・懇親会を開催しました。 総会では第1~3号議案が会員により承認されました。 講演会では長岡市立中央図書館 文書資料室室長の田中 洋史先生をお迎えし、演題『長岡出身の新選組隊士がいた!?~復興長岡藩 江戸藩邸の人間模様~』をご講演いただきました。 長岡の復興に奔走していた公用人の日誌に記録されている新選組隊士の竹内篤平に関する記事を抜粋したレジュメに沿って話される興味深い内容に、聴講者はメモを取ったり感慨深げに頷きながら聞き入っていました。 父と折り合いが悪くなり家出した先の松前で仕官していた篤平は、戊辰戦争が起こった際には長岡藩主の牧野忠訓が戦っていると聞き、函館へ駆けつけたそう。 しかし実際にはそんなことはなく、失望していた篤平でしたが、笠間藩士に諭され笠間藩士の伝手で榎本武揚を頼り新選組に加えられたそうです。 ちなみにこの竹内篤平、戦後に長岡藩への身柄引き渡しの際に武士階級ではなく鞘師(刀の鞘をつくる職人)の息子であることが判明したらしく、まさに数奇な人間ドラマのお話でした。 その後の懇親会でも田中先生をお迎えし、講師を囲みながら談笑する方や詩吟教室の方々の吟詠に耳を傾けている方、会員同士の交流を楽しむ方など、思い思いの楽しいひと時を過ごされているようでした。 友の会の新しい一年が始まりました。 今年も河井継之助記念館ならびに友の会をよろしくお願いいたします。 LINEで送る 2018年5月7日 カテゴリー : お知らせ 投稿者 : kawai01
>ちなみにこの竹内篤平、戦後に長岡藩への身柄引き渡しの際に武士階級ではなく鞘師(刀の鞘をつくる職人)の息子であることが判明したらしく、まさに数奇な人間ドラマのお話でした。
奇兵隊の場合は百姓、町人、漁師などは入隊できましたが、
武士だと偽って入隊して、後に嘘がバレたら斬首されました。
長岡藩は人道的というか、甘いですね。
>ちなみにこの竹内篤平、戦後に長岡藩への身柄引き渡しの際に武士階級ではなく鞘師(刀の鞘をつくる職人)の息子であることが判明したらしく、まさに数奇な人間ドラマのお話でした。
奇兵隊の場合は百姓、町人、漁師などは入隊できましたが、
武士だと偽って入隊して、後に嘘がバレたら斬首されました。
長岡藩は人道的というか、甘いですね。