旧会津藩主・松平容保「助命」に領民奔走 新たな史料など紹介 2018年08月14日 08時45分
戊辰150年を機に「戊辰と明治」について考えるシンポジウムが12日、会津若松市で開かれた。西軍側の史料で「開城後、領民は旧会津藩主松平容保(かたもり)に背を向けて冷ややかだった」とされてきたことを覆す内容の史料が紹介され、来場者が熱心に耳を傾けた。
シンポジウムは同市の郷土史家ら有志による会津戊辰戦争150周年事業実行委員会(阿部隆一会長)の主催。パネル討論では戊辰戦争後の1868(明治元)年11月に会津から上京した10人の村の世話役「肝煎(きもいり)」が手分けをして阿波徳島、肥後熊本、長州、久留米、土佐各藩などに藩主の助命嘆願をするため奔走した史料などが紹介された。
進行役を務めた会津幕末史研究会の簗田直幸さんは「領民は平和を願っていた。望んでいない戊辰戦争に巻き込まれ、兵火で村落が焼失したが、藩主を冷ややかな目で見るようなことはなかったはず」と述べた。
助言者の落合弘樹明治大文学部教授(明治維新史学会理事)は「明治政府が政府に都合のいい声だけを拾い集めて歴史をつくり上げた点は否定できない。肝煎が命懸けで藩主の助命嘆願をしていたとすれば、会津の歴史を考える上で非常に興味深い」と語った。