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- 275 :名無しさん@1周年:2018/10/09(火) 22:53:01.78ID:FrtrX8pH0.net[5/7]
- >>231
全てが仙台藩の捏造じゃなく、手を加えたんでしょ。
醍醐が世良が殺害された十九日手記の手記に書いてる世良の戦略と同様の事が
密書に書かれていた訳だし。
手を加えられたのは「奥羽皆敵として云々」の重要文句じゃないの?
世良の奥羽情勢の分析は甘くて、仙米両藩以外の奥羽諸藩は会津と合従しないと見ていた。
醍醐手記に書かれている世良の考えに基づいて、密書を読めばどこに手を加えられているか分かる。
後、会庄同盟のプロパガンダである「討会討庄は薩長の私怨に過ぎない。君側の奸を払って第二の
王政復古をすべし」という主張から、どこに手を加えたのかも分かって来る。
「防長回天史」によれば「先年慶喜主上奉要轍云々」の文書内の位置が、仙台藩のものと米沢藩のものじゃ
違うと言うから、これは書き足されたと思ってる。世良と大山が会津に私怨を抱いてる証拠だとして。
末松謙澄は密書は手を加えられたから、原書が出て来ないと書いてるが間違いないと思っている。