反薩長の英雄「河井継之助」を知っていますか 明治新政府が隠した「もうひとつの戊辰戦争」
- NO NAME90a35dd64461会津藩からみた北越戊辰戦争
酒屋会議
慶応二年から始まった村松藩の内紛(村松村松七士事件)を契機に村松藩を影響下に置けるようになった会津藩は、その影響力を越後全体に広めようと、慶応三年(1867)六月から長岡藩と連携し諸藩に働きかけるようになる(新潟県史通史編6)。この工作が実を結び、同年九月には会津と長岡・新発田・村上・村松の五藩主催による、越後内に領地を持つ諸藩の会議が新潟町にて開催される事になった。この時参加したのは先の五藩に加えて、桑名・高田・沼津・上ノ山・三根山・糸魚川・黒川・三日市・椎谷の計十四藩で、与板・高崎の二藩は不参加だった(村松町史上)。
越後諸藩は會津と長岡が主導の酒屋会議のグループです。
酒屋会議は奥羽列藩同盟の遥か前からです。
奥羽越列藩同盟は後世に仙臺人らが歴史を捏造したものですね。up0down02018/12/18 14:53