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三立て総集編(大和田爆笑)

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826 :諸橋 嘉久:2015/06/30(火) 19:59:42.84 ID:IUsESdr00
>このように推測で、歴史を語るのが会津病患者です
吉田松陰はペリー来航直後、同志である宮部鼎蔵に書簡を送っている。そこには、「聞くところによれば、彼らは、来年、国書の回答を受け取りにくるということです。その時にこそ、我が日本刀の切れ味をみせたいものであります」と記されていた(川口雅昭『吉田松陰』)。
死者の遺体を穢多に「賊の亡骸としてなら、罪人墓地の大穴に捨てても良いよ」の趣旨で埋めさせたのが実態でしょう。
佛として弔わせて貰えなかったのですから、遺族が佛教徒なら、恨まれて当然な訳です。
>会津藩への弾圧は許せない
会津藩への弾圧では無くて、佛教徒に対する弾圧です。
佛教徒に対する弾圧を埋葬問題とやらにすり替え様としても、無駄ですよ。
>仏教弾圧などに話をすり替えようとするのも会津病患者の特徴の一つです
若松取締の 町野主水らが新政府軍務局長で岡山藩の三宮耕庵に働き掛け、
罪人塚から寺院に埋葬が変わったとはいえ、その作業は被差別部落の人々により行われ
「屍を投げ入れること岩石を扱う如し」であったという。
いたたまれぬ藩士たちは作業を丁重にしてくれるよう賎民に頼むも金を要求され、
工面できたが身分の違う賎民との接触は適わなかった。 そこで「白羽の矢」が立ったのが伴であった。
伴は鷹蕃頭として鷹の餌の鳥獣を買い入れるために例外的に賎民と接触が認められていたのである。
『君候の馬前で命を捨てるのも、彼らの中に入籍して斬られるのも精神において変わりのないはず、
殉難者のお骨は伴に拾わせて頂きたい』-伴は敢て身分を落とし直接作業に当ったのである。
町野は話の通じる三宮を訪ね、事情を明かし頼み込み、その計らいで伴は「埋葬方」に任じられた。
民生局監察方兼断獄久保村文四郎の嫌がらせであった。埋葬地につけた墓標等を撤去せよとの厳命がきたのである。
埋葬問題とやらが殺害の動機ならば、久保村文四郎の上司や部下まで殺害される筈です。
>明治天皇の即位は
>鳥羽伏見の前やがなWWWWWW
明治天皇は大嘗祭を行って居ない。
即ち、偽天皇
大嘗祭が行われた年
明治天皇 1871年(明治4年)悠紀 山梨県甲府市上石田(甲斐国)主基 千葉県鴨川市北小町(安房国)
即ち、『王政復古の大号令』とやらも、後の世に捏造されたもの。

>後なら、そもそも
>すり替える必要が無いという…
偽錦旗が証拠
錦旗が本物ならば、鳥羽伏見の戦い以前から最前線に掲げて居る筈だ。
桂小五郎が錦旗を急造させたと言う説
大久保一蔵が錦旗を急造させたと言う説
偽錦旗を誰が急造させたかなんてのは、
所謂『官軍』が偽錦旗を使ったと言う事実から日本人の耳目を背ける児戯じみた陰謀

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