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奥羽列藩同盟に長岡は加わって居ない。

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朝、摂田屋村にて軍議。河井継之助と佐川官兵衛、激論を交わした後、協定を結ぶ。←この協定締結で長岡藩が奥羽越列藩同盟に加わったとする歴史書(『仙台戊辰史』 等)が多いが、列藩同盟への加盟について書かれた長岡藩関係の記録は見当たらない。


酒屋会議
 慶応二年から始まった村松藩の内紛(村松村松七士事件)を契機に村松藩を影響下に置けるようになった会津藩は、その影響力を越後全体に広めようと、慶応三年(1867)六月から長岡藩と連携し諸藩に働きかけるようになる(新潟県史通史編6)。この工作が実を結び、同年九月には会津と長岡・新発田・村上・村松の五藩主催による、越後内に領地を持つ諸藩の会議が新潟町にて開催される事になった。この時参加したのは先の五藩に加えて、桑名・高田・沼津・上ノ山・三根山・糸魚川・黒川・三日市・椎谷の計十四藩で、与板・高崎の二藩は不参加だった(村松町史上)。


奥羽越列藩同盟は後世に捏造されたもの。
奥羽列藩同盟に長岡は加わって居ない。
朝、摂田屋村にて軍議。河井継之助と佐川官兵衛、激論を交わした後、協定を結ぶ。←この協定締結は酒屋会議の軍事面を進展・強化したものであろう。

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