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古屋 佐久左衛門が率いる衝鋒隊が信州で戦った訳

我自身に尋ねたところ、
信州に佐久が在るので、古屋 佐久左衛門は信州の諸大名を束ねて、
西軍を迎撃し様としたそうです。
「信州に佐久が在るから」なんて、究極の験担ぎか、
大和田爆笑を凌駕する親父ギャグかよ!(大和田爆笑)

衝鋒隊は會津軍の配下なので、
小出島や小千谷で會津軍と共闘すれば良いのにね。

衝鋒隊は信州で信州の諸大名軍から、総攻撃されて、
戻った高田でも、榊原氏の軍に攻撃されて敗走した。

我自身に尋ねたところ、
衝鋒隊が信州に行かずに、端から高田の榊原氏の軍と戦った場合は、
高田の榊原氏の軍は壊滅して、衝鋒隊は壊滅寸前での辛勝だったそうです。

高田の榊原氏の軍は、所謂『ゲベール銃』で武装して居たそうです。
第二次長州征伐でエンフィールド銃で武装した長州軍に散々な目に遭わされた筈なのに。
我自身が「高田の榊原氏の軍は、戊辰北越戦争でも所謂『ゲベール銃』で武装して居た」と言い張って居ます。

北越の大名家の表向きの石高
一番が高田 二番が新発田 三番が長岡

北越の大名家の実質の石高
一番が新発田 二番が長岡 三番が高田

長岡を「小藩」と呼ぶ奴は、嘘吐きか白痴(大和田爆笑)

高田に會津・桑名・長岡が共闘を迫らなかった理由が分かりましたね。

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