西郷吉之助
これに関する事を、十何年前にYahoo!掲示板日本史で我が論破し捲くったものだ。
月照に抱き着いて西郷吉之助が海中に沈んで、数時間後に引き揚げられて蘇生
海中に沈んで、数時間も呼吸せずに死なない人など、居ないでしょう?(大和田爆笑)
大村益次郎「貴方が北越に着く頃には、戦争は終わって居るでしょう。」
大村益次郎の制止を振り切って、頭を丸めて新政府の職を辞した西郷吉之助は、
薩摩で百姓を三百人掻き集めて、隊長と成って北越に出兵した。
北越に着いた西郷吉之助にする事は、何も無かった。
降参した荘内に下参謀の黒田了介が寛大な処置を取った?
百姓を三百人掻き集めた部隊の隊長に過ぎぬ西郷吉之助が、下参謀の黒田了介に指示を出来る筈が無い。
本間家を中心に藩上士・商人・地主などが明治政府に30万両(当初は70万両の予定だったが揃わず減額が認められた)を献金した。
何処が寛大な処置なのでしょうか?(大和田爆笑)
敗戦後の荘内は嘘吐きなのです。
薩摩には西南戦争当時まで、『西郷南洲遺訓集』に該当・比肩する本は、発刊されて居ません。
薩摩では西郷吉之助が、偉人扱いされて居なかった証拠です。
『西郷南洲遺訓集』を捏造して発刊した荘内は、西郷南洲カルト教団と成ったのです。