外山 脩造によると、河井 繼之助の遺言「おみしゃんは、商人に成れ」
外山 脩造は商人に成らず、大蔵省で働いた。
外山 脩造は嘘吐きだ。
河井 繼之助が新町で雁木から通りの向こうの雁木を目指して走ったところに流れ弾が左膝下に被弾したと外山 脩造が証言した。
明治時代まで生き残った長岡人の反論「戊辰戦争の当時は、新町に雁木は無かった」
左膝下に被弾して、脛骨を折る銃創、生涯自力で歩行が不能な程の重症
流れ弾では有り得ない重症です。
インターネットが無かった時代のアンチ河井 繼之助「戦場の後方で、こそこそして居るから、流れ弾に中るのだ」
長岡郷土史によると、新町で無いところで、
河井 繼之助が床几に腰掛けて居るところを、西軍兵に狙撃された。
外山 脩造の証言を信じる人は、ある意味ではアンチ河井 繼之助なのです。