会津市民たちは、過去の歴史の記録や文献をほとんど持ち合わせていない。
なぜなら、体制が変わるたびに廃棄、焚書処分にしてきたから。
その習慣は、会津の歴史を勝手に作り替え都合のいいように市民に教える。
「これは使える」と思ったものは恥ずかしげもなく改竄してでも作り替える。「観光史学」の例がそれを示している。
普通の地域は、自己の不利になることであってもその記録は必ず保存する。数千年前のものでも文献は残されている。
会津市民は、自分たちの手元にないものを主張すれば受け入れられると思っているのだろう。
敗戦間もない日本なら、そんなごり押しは通ったかもしれないが、戦後70年近く経った現在、
ネットの世界的普及によりもはや事実のごまかしは効かなくなっている。
小泉純一郎首相の国会での所信表明演説で、戯曲『米百俵』が引用されたが、
其の六ヶ月後くらいに新潟日報に長岡郷土史の老人の証言
昭和四十年代の後半に当時の長岡市長が長岡市中央図書館長に、
戯曲『米百俵』に都合の悪い史料の廃棄を迫り、
長岡市中央図書館長は抵抗したが、長岡市長の圧力に負けて、
戯曲『米百俵』に都合の悪い史料の廃棄を行った。
百俵の米を教育に使う事を言い出したのは、小林虎三郎では無い。
象山門下の二虎
寅と虎は意味が全く違います。
虎は「コ」と読めますが、寅は「コ」と読めません。
「天下を動かす政治を行う者は吉田(松陰)であり、
わが子を託して教育してもらいたいのは小林のみである」
佐久間象山は子を小林虎三郎に託して居ません。
小林虎三郎を偉人に見せ掛ける為に弟の小林雄七郎が伝記を創作したのです。