慶応2年(1866)12月、孝明天皇が崩御され、翌年正月、睦仁親王(明治天皇)が践祚(せんそ)されました。践祚後、皇位継承を知らしめるために行われたのが即位の礼です。
また、明治4年(1871)11月には大嘗祭(だいじょうさい)が催されました。
大嘗祭とは、即位の礼の後に行われる初の新嘗祭(にいなめさい)のことで、明治天皇の時には政情の混乱から先例より遅れて挙行されました。即位の礼から大嘗祭までの一連の儀式を大礼(たいれい)といいます。
また、明治4年(1871)11月には大嘗祭(だいじょうさい)が催されました。
大嘗祭とは、即位の礼の後に行われる初の新嘗祭(にいなめさい)のことで、明治天皇の時には政情の混乱から先例より遅れて挙行されました。即位の礼から大嘗祭までの一連の儀式を大礼(たいれい)といいます。
明治天皇の即位の礼は、御所(現在の京都御所)紫宸殿(ししんでん)にて慶応4年8月27日に行われました。当初は、前年11月を予定していましたが、政治・社会の動乱期であり、準備が充分でなかったことから延期されました。
この間、輔相(ほしょう)岩倉具視は、神祇官副知事亀井茲監(これみ)らに対して、古典を考証し、唐の模倣ではない庶政一新の時にふさわしい皇位継承の典儀を策定するよう命じました。
結果、調度品からは唐風のものが排除され、儀式に地球儀が用いられるなど新しい要素も加えられました。
この間、輔相(ほしょう)岩倉具視は、神祇官副知事亀井茲監(これみ)らに対して、古典を考証し、唐の模倣ではない庶政一新の時にふさわしい皇位継承の典儀を策定するよう命じました。
結果、調度品からは唐風のものが排除され、儀式に地球儀が用いられるなど新しい要素も加えられました。
国立公文書館ホームページより、抜粋並びに転載
>明治天皇の即位の礼は、御所(現在の京都御所)紫宸殿(ししんでん)にて慶応4年8月27日に行われました。
鳥羽・伏見の戦いから、明治天皇の即位の礼が終了する前までの戊辰戦争は薩長・新政府が不当に起こした戦争に成ります。