古い話ついでにもう一発。
家にずっとあったこの鉄の塊は、拾って来た戊申戦争の時の砲弾だという。
戊辰戦争は、明治維新のとき倒幕派と幕府派とが闘った一連の戦争で、慶応4年(戊申の年・明治元年と重なる)にちなみこう呼ばれる。江戸開城後も抵抗姿勢の会津藩、庄内藩は越後平野に出兵、薩摩藩長州藩を中核とする新政府軍は、旧幕府派の平定のため出兵、動向に疑惑を持たれた長岡藩に進撃。
長岡藩(軍事総監は河井継之助)は大政奉還後も徳川家を支持、イギリス・アメリカの武器商人からアームストロング砲、ガトリング砲などを購入して戦った、と。
そこで初めて、こんな物がゴロゴロしていて、拾った人があるのが解って来た。
そのころも武器を売る商人がいて、戦争があれば何処までも行って大きな商いをしていたのだということも今更ながらよく分かった。
戦局膠着のため与板藩の御用商人の援助を受け船で信濃川を渡り長岡を奇襲、・・・と、いいかげんに切り上げるが、この前の大戦以前に長岡は戦争でエライ目にあったのだと、この砲弾のことをしらべていて初めて知ること多し。
河井継之助は戦で負傷、山道を会津へ逃れる途中で亡くなった。自分のなきがらを焼く火を焚かせて、見ながら息を引き取ったという。
砲弾は、長岡の歴史博物館に引き取ってもらうことにした。
うちでは砲弾と言い伝えられているけど、博物館に見て貰うまで真偽のほどはワカリマセン。
by buribushi | 2017-08-13 08:13 | その他 | Comments(8)
Commented by ミミの父 at 2017-08-13 08:45 x
「戊申戦争の砲弾」画像検索したら、似たのがありました。
博物館で日の目を見ますね。f^_^;
博物館で日の目を見ますね。f^_^;
Commented by kazuyoo60 at 2017-08-13 09:04 x
>戊申戦争の時の砲弾
こんなのが飛んで来たら、建物が壊れて、人に当たれば怪我だけでは済みませんね。
きっと間違いないでしょう。長く保存してくださるでしょう。
こんなのが飛んで来たら、建物が壊れて、人に当たれば怪我だけでは済みませんね。
きっと間違いないでしょう。長く保存してくださるでしょう。
Commented by buribushi at 2017-08-13 20:01
ミミの父さま
私も画像をみたら、うちのよりずっと保存のいいピカピカのが出ていましたが、形や周りの点々や、同じ物でしょうね。
政府軍と戦っていた長岡藩、船を出して軍の奇襲を助けた与板商人、何だ、長岡に悪かったねーと言っているところです。
継之助があんなに頑張らなければ長岡が焦土にならずに済んだという見方もあるそうです。
私も画像をみたら、うちのよりずっと保存のいいピカピカのが出ていましたが、形や周りの点々や、同じ物でしょうね。
政府軍と戦っていた長岡藩、船を出して軍の奇襲を助けた与板商人、何だ、長岡に悪かったねーと言っているところです。
継之助があんなに頑張らなければ長岡が焦土にならずに済んだという見方もあるそうです。
Commented by buribushi at 2017-08-13 20:06
kazuyoo60
ずしり!と重いんですよ。こんなもの飛ばすには随分火薬が要ったでしょう。それにしてもこの目方ではたいして飛ばなかったかも。
しかし、戦があると大もうけした武器商人、しかも世界をまたにかけて。そんな時代にもうあったんですね。
ずしり!と重いんですよ。こんなもの飛ばすには随分火薬が要ったでしょう。それにしてもこの目方ではたいして飛ばなかったかも。
しかし、戦があると大もうけした武器商人、しかも世界をまたにかけて。そんな時代にもうあったんですね。
Commented by mikeblog at 2017-08-13 21:07
武器商人、今だっていますよね。
この砲弾は個人で持っているよりも博物館とか資料館に展示してもらうのがいちばんですね。第2次大戦の時に鉄材として供出しなくてよかったです。
この砲弾は個人で持っているよりも博物館とか資料館に展示してもらうのがいちばんですね。第2次大戦の時に鉄材として供出しなくてよかったです。
すばるさんちはびっくりするようなものが出てきますね。
こんなもの何処にしまってあったのですか。
何回か引っ越しもされているようですがその度にこれも運ばれたのですね。
どんどん断捨離されているのにまだあったのですね。
↓
写真もずいぶん昔のが残っていましたね。
我が家は夫の祖父の代に分家したので
そんなに古いものがありません
この間から、家の権利書が見つからず
探し始めると要らない物ばかり、
これはあたまがしっかりしている間に整理しなくてはと
つくづく思いましたよ。
こんなもの何処にしまってあったのですか。
何回か引っ越しもされているようですがその度にこれも運ばれたのですね。
どんどん断捨離されているのにまだあったのですね。
↓
写真もずいぶん昔のが残っていましたね。
我が家は夫の祖父の代に分家したので
そんなに古いものがありません
この間から、家の権利書が見つからず
探し始めると要らない物ばかり、
これはあたまがしっかりしている間に整理しなくてはと
つくづく思いましたよ。
Commented by buribushi at 2017-08-14 19:48
ミケさま
人を殺傷する物で商売して儲ける、って何と言うことでしょう。
こんなに錆びる前に資料にすれば良かったと思うけど、ほんに供出されなくてよかったです。
多分他にも持ってる人はあるし、博物館にももうあるとは思いますが。
人を殺傷する物で商売して儲ける、って何と言うことでしょう。
こんなに錆びる前に資料にすれば良かったと思うけど、ほんに供出されなくてよかったです。
多分他にも持ってる人はあるし、博物館にももうあるとは思いますが。
Commented by buribushi at 2017-08-14 19:57
sakkoさま
夫が子供の頃これに花が挿してあったそうですよ^^床下に転がってました。
そうそう、引っ越しの時持って歩いたんですね、ご苦労にも。
長岡は徳川について新政府軍と戦って、与板はその新政府側を助けて、と、じゃあ長岡に悪かったねー、なんていまは言っていますが、時代の変わり目はいろいろ大変だったんですね。
ダンシャリとか親片とか言っても、こういうものは捨てる事も出来ません。
大事な物がふっと分からなくなることが私にもあって、養母がよく、財布がない、だの通帳がないだのと言って嫌でしたが、それもわかるような気がしてきました。
ほんとに今のうちなんですよねー。
夫が子供の頃これに花が挿してあったそうですよ^^床下に転がってました。
そうそう、引っ越しの時持って歩いたんですね、ご苦労にも。
長岡は徳川について新政府軍と戦って、与板はその新政府側を助けて、と、じゃあ長岡に悪かったねー、なんていまは言っていますが、時代の変わり目はいろいろ大変だったんですね。
ダンシャリとか親片とか言っても、こういうものは捨てる事も出来ません。
大事な物がふっと分からなくなることが私にもあって、養母がよく、財布がない、だの通帳がないだのと言って嫌でしたが、それもわかるような気がしてきました。
ほんとに今のうちなんですよねー。