2018/3/216:49:27
奥羽越列藩同盟は存在しなかった。
30年近く前に長岡市で、戊辰戦争の催しに『奥羽列藩同盟の公文書』が展示されました。
慶應四年六月何日と書いて有りました。
奥羽列藩同盟に北越六藩が五月上旬に加盟した筈なのに!?
北越六藩を無視された様で、我は悲しかったです。
奥羽列藩同盟に會津と荘内は何故、加盟して居ないのか?
奥羽列藩同盟とは、奥州(會津)羽州(荘内)を救う列藩同盟と言う意味なのです。
奥州と羽州の列藩同盟と言う意味では無いのです。
拠って、奥羽列藩同盟に北越六藩が加盟したところで、『奥羽越列藩同盟』とは成らないのです。
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/gary/naga001.htm
5月4日
朝、摂田屋村にて軍議。河井継之助と佐川官兵衛、激論を交わした後、協定を結ぶ。←この協定締結で長岡藩が奥羽越列藩同盟に加わったとする歴史書(『仙台戊辰史』 等)が多いが、列藩同盟への加盟について書かれた長岡藩関係の記録は見当たらない。
http://blog.livedoor.jp/akichan10314002/archives/51165270.html
そして、最も驚愕したのが「奥羽越列藩同盟」は存在しなかった!という説。
ええーーっ!そんなバカな と思いましたが工藤威著「奥羽越列藩同盟の基礎的研究」を読んでみたくなりました。
「奥羽越列藩同盟の基礎的研究」では無くて、「奥羽列藩同盟の基礎的研究」
工藤威『奥羽列藩同盟の基礎的研究 (近代史研究叢書 (5)) 』(岩田書院、(2002年)ISBN-10: 4872942612