>戊辰戦争後、継之助の墓は足蹴にされたり、石を投げられたりすることもあった。無残な様子を見かねた河井本家の平吉(寛治さんの曽祖父)らが明治初期の深夜、墓石を荒縄でくくって手で引っ張り、数百メートル離れた河井本家の菩提寺、栄涼寺(長岡市東神田3)の一角に運び入れたという。
数百メートル離れた河井本家の菩提寺、栄涼寺(長岡市東神田3)の一角に運び入れたとしても、
憎悪した人に河井家の墓を足蹴にされたり、石を投げ付けられたりする筈ですが?
河原乞食の子孫の亡き歌舞伎役者が河井継之助を演じた日本テレビのドラマでは、
墓石を鉄棒か何かで叩き壊して居た筈でしたが。
栄涼寺に僧兵は居ないので、賊の侵入を防げない筈です。
河井平吉が河井 繼之助の家の墓を盗んで、墓石を傷付けて居たのでしょう。
日本人なら普通は、伍子胥みたいに死屍(しし)に鞭(むち)打つ事は、行わないものです。