「鬼頭熊次郎の元込め銃」で検索してみました。
>そして最後に山県が報国隊軍監の福原和勝を伴なって妙見の南方高地地帯目指して撤退します。
福原和勝?もしかして
>この後長州藩兵は軍を分け海岸線沿いに福原和勝率いる報国隊が進み、山間部を山県有朋率いる奇兵隊が進み、そして時山直八が迂回部隊(奇兵隊?)を率いて一気に三方面から小倉平野への突破を試みて進撃を開始します。
>まず最初は海岸線を進軍してきた報国隊が砲隊を先頭にして攻撃を開始しますが、逆に熊本藩兵の砲撃に多大な損害を受け撃退され、福田率いる報国隊の攻撃は頓挫する事になります。
福田は誤記ですね。
ウィキペディアのアームストロング砲で、釣られて福田和勝と書いて仕舞いました(大和田爆笑)
福原和勝と訂正しました。
>逆にエドワード・スネル(ヘンリーの弟)と面識がある河井継之助の長岡藩は五月下旬にスペンサー銃41挺を含む多くの小銃・弾丸を入手して、これらは後の長岡藩兵の戦いに大きく貢献しています。
これはサイトの筆者に依る思い込みに過ぎません。
小銃の名が判らない謎の41挺の小銃なのです。
基地外の荒唐無稽の話だと思われても、書きます。
我自身に尋ねたところ、
横濱のアメリカ人の商人(フリーメーソンのメンバー)の部下が新潟港で、
河井 繼之助の部下に現在の狙撃銃と対物ライフルの中間の9mmライフル銃41挺と弾丸を貸したそうです。
長岡城二番破れの後に返却したそうです。
表の世界に出回らないアメリカのフリーメーソンの9mmライフル銃(大和田爆笑)
>この色部等の努力により、新潟港は同盟軍の後方補給地として稼動し、西洋化の遅れている同盟軍に多数の小銃と弾丸を供給します。中でも米沢藩兵は七月十九日には前装ミニエー銃二千挺と元込銃(シャールプ銃?)一千挺、更にその各小銃の弾丸計150万発を入手する事に成功します。
シャールプ銃は誤記ですね。
シャープス銃ですよ。