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今朝の新潟日報に連載の河井継之助『龍が哭く』

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秋山香乃のオバちゃん、河井 繼之助が慶應三年にミニエー銃とエンフィールド銃を購入した。
我自身に尋ねたところ、
河井 繼之助はミニエー銃を購入して居ないそうです。
シリーズ戊辰戦争① 河井継之助 小藩生き残りの誤算
10分20秒辺りを再生
この写真は戊辰戦争の当時では無くて、第二次長州征伐の当時に大坂城で撮影されたものです。
長岡軍は慶應二年の時点で、エンフィールド銃で武装して居たのです。

蛤御門の変でエンフィールド銃で武装した薩摩軍が長州軍を撃退した。
第二次長州征伐でエンフィールド銃で武装した長州軍が幕府軍を撃退した。
坂本龍馬が長州に輸送した薩摩名義のミニエー銃とは、イギリス製エンフィールド銃

兵制改革

城西の中島に操練場を造成し、兵学所もそこへ移した。射的場は百間もある大きさで、藩兵をフランス兵制の三個大隊に組織して訓練を行った。兵制改革にあたっては、幕府の蕃所調所教授となった鵜殿団次郎の意見を採ったという。なお、鵜殿の実弟白峰駿馬は土佐の海援隊に入つている。

さらに継之助は藩兵の西洋式装備を積極的に推進した。まず各戸に一挺ずつミニエール銃を配備した。兵器は継之助と親交のあった外国人エドワード・スネルとファーブル・ブラントから購入したと云われる。

長岡藩の兵制改革は非常に短時間の内に行われた、これは継之助の手腕によるものであるが、ファーブル・ブラントから購入した書籍からの知識によるところが多い。慶応三年九月の受領証に歩兵操練書・地理書・施條銃論などを八両一朱と三百文で購入していることがわかる。元掛川藩士の福島住弍は横浜のファーブル・ブラントの館で、継之助がフランスの兵制・兵器を一所懸命に研究している姿を見たと、後年語っている。


上記の文章を論破して差し上げましょう。
我自身に尋ねたところ、
鵜殿団次郎が出来たのは、オランダ語の日常会話と翻訳、英語の翻訳
鵜殿団次郎はフランス語の日常会話と翻訳は出来なかった。
幕府のフランス軍事顧問団に長岡の牧野家は家臣を派遣せずに、一人たりとも学ばせなかった。
河井 繼之助は漢文しか出来なかった。

>慶応三年九月の受領証に歩兵操練書・地理書・施條銃論などを八両一朱と三百文で購入していることがわかる。

英國文典と新版素讀書の存在を意図的に書かないのですか?
河井 繼之助宛の受領書に英國文典と新版素讀書が記載されて居り、佛蘭西國文典が記載されて居らず、
依って、長岡軍の模範はイギリス陸軍やアメリカ陸軍なのです。
河井 繼之助が横濱のイギリス人の武器商人から、エンフィールド銃・スナイドル銃とアームストロング砲を購入した。

河井 繼之助宛の受領書は残って居るが、河井 繼之助の部下が買い付けただけで、
河井 繼之助とファブルブラントは、面識が無かった。
河井 繼之助と福島住弍は、面識が無かった。
ファブルブラントは商人を装ったスイスの諜報員
ファブルブラントの手先が福島住弍
戊辰北越戦争で長岡軍のガトリング砲は、一門しか登場しません。
ファブルブラントは何故、河井 繼之助にガトリング砲を二門、大金で売ったとデマを流したのか?
長岡軍の保有した大砲は31門
元込砲 二とは、アームストロング砲が二門
>長岡藩の長谷川隊報告には「奇環砲」(河井継之助伝、p395)と書かれている

ガトリング砲も元込めですが、
元込砲 二門と奇環砲(ガトリング砲)が別物なのは、史料で明らかです。

ファブルブラントは大村益次郎と親交が有った。
大村益次郎がアームストロング砲で上野の彰義隊を半日で壊滅させた。という法螺話を色褪せない様に、
戊辰北越戦争で長岡軍がアームストロング砲で、榴散弾を発射して奇兵隊ら西軍の頭上で爆発させる戦術を用いて、多大な損害を与えた事実を隠す為に、
元込砲 二門をガトリング砲 二門だと思わせたのです。
ファブルブラントは河井 繼之助がガトリング砲 二門を大金を叩いて買った愚か者だと思わせたのです。

河井 繼之助が西軍兵を射殺したガトリング砲は、1868年型だそうです。

只見町のが正解で、長岡市のが間違いだそうです。

横濱のアメリカ人の商人(フリーメーソンのメンバー)が河井 繼之助にガトリング砲と弾丸をプレゼントしたそうです。

河井 繼之助が所有していたガトリング砲は一門だったそうです。

河井 繼之助はフリーメーソンの手先では無いですよ。

賢い河井 繼之助はガトリング砲の弾丸の少なさにアメリカ人の商人(フリーメーソンのメンバー)の意図を察しました。
河井 繼之助は自らガトリング砲を撃ち、西軍兵を斃しました。
河井 繼之助は肩先を撃ち抜かれる迄、ガトリング砲を撃ち続けた。
河井 繼之助の実戦リポート付きでガトリング砲は新潟港から、
横濱のアメリカ人の商人(フリーメーソンのメンバー)にギフトされたそうです。



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