河井 繼之助 傳を読めば分かりますが、「河井 繼之助の大好物は、味噌漬飯(櫻飯)」と言って居るのは、山中騒動で河井 繼之助に助けられた荘屋の石塚家だけです。
妹の安子も、女房のすがも、「河井 繼之助の大好物は、味噌漬飯(櫻飯)」と証言して居ません。
牧野氏は三河武士の末裔なので、赤味噌の三州味噌を好んで使って居たでしょう。
河井 繼之助は三河武士の末裔では有りません。
河井 繼之助は蒲原郡河井村出身の地侍の末裔です。
河井村は明治以降の行政区分では、西蒲原郡
西蒲原郡は白味噌の食生活文化の筈です。
我自身に尋ねたところ、
河井 繼之助の家は、白味噌を使って居たそうです。
河井 繼之助は味噌漬飯(櫻飯)を食した事は、無かったそうです。
長興寺(曹洞宗)の檀家の河井家の食卓は、精進料理だったそうです。
一月半に一度は河井 代右衛門は、枡屋で鰻を喰い、
一月半に一度は河井 繼之助は、料亭に芸者を上げ、酒を呑み美味い物を喰った。
粋な駄目親子(大和田爆笑)