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Channel: アセンション詐欺に遭いましたか?
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朝日山の戦いで山頂付近から長岡軍が撃ち出す榴散弾に塹壕に居る西軍は負傷者が続出した。

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421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/21(日) 09:45:32.29 ID:piSd5zdu0
アームストロング砲を上回る性能を国産で実現するのは有坂砲まで30年以上は待たないと出来なかったわけで

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/21(日) 09:53:04.87 ID:Mc+g+JeA0
>>418
あなたは司馬遼太郎の間違った史観に毒されて、思考停止しているだけww

>アームストロング砲は四斤山砲の射程距離外から短時間で砲弾を浴びせ続けて、
>四斤山砲は終わりです。

それは欧州や北米の広大な平野の話。
というか故障が多くて欧米でも大して活躍していないけどねwww

日本のように地形が錯綜していて湿度の高い国なら、
持ち運びが便利で構造が簡単な砲が圧倒的に有利。
観測を砲側でやるしかなかった時代に野砲の射程が長くても意味がない.
アームストロング砲がそんなに有効なら、どうして明治新政府は
アームストロング砲を陸軍の主力野砲として整備しなかったのかな???
新政府が配備したのは四斤山砲だよ

※ウィキから付け足し
日本では司馬遼太郎の書いた小説で当時の最新最高の兵器として活躍したこと
から有名になったが、その威力に関してはかなり誇張されたフィクションであり、
史実では大活躍したとは言い難い。日本で輸入使用されたのは主に6ポンド軽野砲
であったが口径は64mmに過ぎず、これは当時の日本で主力洋式野戦砲だった
四斤山砲(前装ライフル青銅砲・口径86.5mm)よりも小口径である。
射程や発射速度では上回るものの、榴弾威力で特段優るわけではなかった。

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/21(日) 10:05:54.78 ID:Mc+g+JeA0
>>418
会津藩や長岡藩が榴散弾を的確に運用して、敵に大損害を与えたという
文献を出してくれないかな???

榴散弾のように時限信管を使用する運用が非常に難しい武器より
榴弾の方がはるかに使い勝手がいいわけで、
実際に榴散弾が大活躍したなんて話も聞いた事がない。
「榴散弾が活躍した」と言い張るなら、証拠を出して

424 :諸橋 嘉久:2013/07/21(日) 10:50:25.65 ID:Mj5atQng0
>アームストロング砲がそんなに有効なら、どうして明治新政府は
>アームストロング砲を陸軍の主力野砲として整備しなかったのかな???
>新政府が配備したのは四斤山砲だよ


青銅砲なので、鉄製砲よりも技術的に製造が容易だった。材料も国内調達が容易だった。
発射速度を除けば最新式の後装砲にも劣らない性能だった。

射程や発射速度ではアームストロング砲が上ですよ。

池沼に分り易い例えにすると、

明治陸軍と四斤山砲≒オウム真理教とAK47

四斤山砲≒AK47

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/21(日) 11:04:49.33 ID:2UK8z8bg0
距離に応じて信管を切るのは優秀云々以前に、砲兵の初歩の初歩な気がする。
例え計算が出来なくても、諸元表が有るだろうしね。
高低差、風向き、気温、湿度辺りの考慮で、初めて優秀か否かの差は出るだろうけど、極端な長距離砲撃も無かったし・・・
幕末の砲撃技術(戦術や運用とは別)で見るものが有るとしたら、甲鉄の70ポンド砲による五稜郭への4kmの射撃位?

それ以前の話しとして、フランス軍の4ポンドグラスに榴散弾の用意って有ったの?
重砲、臼砲だけだった気も・・・
イギリス軍ではナポレオン戦争中から全ての砲に用意されていたけど。
ギリギリ、9ポンド(実は6ポンド)ナポレオン砲から?

アームストロング砲の評価は誇張されている気がするね。
それも後装や射程に付いてばかりだし・・・
どうせなら、着発信管の方が評価されて然るべきだと思うなぁ

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/21(日) 11:11:06.26 ID:2UK8z8bg0
4ポンドグラス→4ポンドクラス

427 :諸橋 嘉久:2013/07/21(日) 11:23:06.88 ID:Mj5atQng0
409 :諸橋 嘉久:2013/07/18(木) 07:55:34.74 ID:eJkNg0Vy0
長岡兵の大砲の装備と技術は東軍一で、
榴弾の他に榴散弾を保有して居て、
塹壕に居る敵兵の頭上に榴散弾を爆発させる戦術を用いて居ました。

418 :諸橋 嘉久:2013/07/21(日) 08:33:00.28 ID:Mj5atQng0
>具体的に誰なの? そんな優秀な人が東軍にもしいたら
>名前が残っているだろ。名前を教えて

長岡では河井繼之助・小林虎三郎・川島億次郎

小林虎三郎は長岡で私塾を開いて居ました。

會津では山本覚馬
會津の客分の川崎尚之助

NHK大河ドラマ『八重の桜』を貴公は観て居ないのですね。



423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/21(日) 10:05:54.78 ID:Mc+g+JeA0
>>418
会津藩や長岡藩が榴散弾を的確に運用して、敵に大損害を与えたという
文献を出してくれないかな???


「榴散弾を會津が保有して居て、実戦で使用した」なんて、
我は一行も書いて居ない。

貴公の仰る「砲弾が敵上空に達するまでの時間を瞬時に計算する弾道工学のプロ」が、
會津では山本覚馬と會津の客分の川崎尚之助
両名の門弟

會津には榴散弾と言うハードは無かったが、
山本覚馬と會津の客分の川崎尚之助と両名の門弟と言うソフトが在った。


長岡兵の大砲の装備と技術は東軍一で、
榴弾の他に榴散弾を保有して居て、
塹壕に居る敵兵の頭上に榴散弾を爆発させる戦術を用いて居ました。

上記は安藤英男の著書に書いて有りました。

アームストロング砲は「司馬遼太郎」史観云々以前より、
大山柏も評価して居ましたよ。

428 :諸橋 嘉久:2013/07/21(日) 11:33:33.74 ID:Mj5atQng0
>それ以前の話しとして、フランス軍の4ポンドグラスに榴散弾の用意って有ったの?
>重砲、臼砲だけだった気も・・・

長岡軍と荘内軍はアームストロング砲を保有して居たと言う説が有ります。

戦争末期ですが、仙臺はアームストロング砲を保有して居ました。

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/21(日) 11:46:27.55 ID:Mc+g+JeA0
>>424
南北戦争で使ったアームストロング砲が大量に余っていたんだから
明治新政府が大量に輸入しようと思えばできたけど、しなかった。
アームストロング砲が役に立たないことを、
戊辰戦争で戦った新政府首脳たちがよく知っていたからだよ。
「アームストロング砲が戊辰戦争役に立った」なんて、今どきどんなバカ史家
でも言わないけど、こんなバカが今でも生息しているんだなあ。
アンモナイト級の化石だねwww

>>427
榴散弾を持っていても、ロクな成果を挙げる事ができなかったから
文献が何もないんだろw
榴散弾もガトリング砲も、河井の新兵器は高価なだけでロクに働なかった。
装備と技術は東軍一でも、運用に失敗して活躍できなければ意味がないんだよwww

409 :諸橋 嘉久:2013/07/18(木) 07:55:34.74 ID:eJkNg0Vy0
長岡兵の大砲の装備と技術は東軍一で、
榴弾の他に榴散弾を保有して居て、
塹壕に居る敵兵の頭上に榴散弾を爆発させる戦術を用いて居ました。

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/21(日) 12:43:41.27 ID:hwvHG/z50
あ~むすとろんぐぅは後装射程は凄かったらしいけど
暴発しやすい為正式装備にはならんかったらしい。
英国艦隊も薩英戦争辺りの時期だけ装備してたらしいし。

431 :諸橋 嘉久:2013/07/21(日) 12:53:57.70 ID:Mj5atQng0
南北戦争で使ったアームストロング砲が大量に余って居ても、
例えば購入時の一割引きで明治陸軍に商談を持ち掛けても高過ぎて、
明治陸軍はアームストロング砲に手を出さず、
四斤山砲のコピーの製造に勤しむでしょう。


佐賀の史料と會津の史料
佐賀の史料と省内の史料

其れ等を読んだ史家や作家がアームストロング砲の効果が有ったと判断した訳で、
近年の売名目的の池沼がアームストロング砲を貶めて居るのです。


朝日山の戦いで山頂付近から長岡軍が撃ち出す榴散弾に塹壕に居る西軍は負傷者が続出した。

其処で時山直八らが朝日山を現地の百姓を道案内として、東軍陣地の裏から奇襲する筈が、
濃霧の為に東軍陣地の前に出てしまった。

戊辰北越戦争が三ヶ月近くも続いた事が、
東軍の中核だった長岡軍が強くて優秀だった事を証明して居ます。

432 :諸橋 嘉久:2013/07/21(日) 12:57:14.34 ID:Mj5atQng0
☓佐賀の史料と省内の史料
◯佐賀の史料と荘内の史料

ちゃんと書いて居るのに文字化けが多いな。

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